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禅林寺について

禅林寺の起源

元禄十二年(一六九九)八月台風のために建物が倒壊したので、松之坊は寺社再建不可能のために寺社地を村方へ返還した。 そこで村方一同は協議の末、江戸本所石原に在った黄檗宗賢洲元養禅師に寺社建立のことを懇請した。
かくして村方一同より官へ願い出で、元禄十三年十二月、黄檗宗霊泉山禅林寺と改称、江戸神田紺屋町駒田孫右衛門が開基となって堂宇伽藍の経営も着々と進み、当時天下の大小名より尊信を集めていた黄檗大眉門下の梅嶺道雪禅師を請して開山とし、賢洲禅師自ら第一代となり宗風の宣場につとめ、黄檗宗大本山万福寺の直末寺となり、現在に至る。
八幡社とは明治初年の「神仏分離」令によって分離し、塔頭で あった松仙院(八幡社を管理)と円通庵は廃仏毀釈のころ本寺に合併した。

山門と山門額  山門額:宗祖隠元禅師筆

三鷹市と禅林寺

大正末期、現在の三鷹市付近は5.6戸の民家が散在していただけで、一帯は畑地であり、都心へ出るには吉祥寺駅で乗降していました。 これがため、禅林寺では、住民の利便を計り、大正13年11月、駅設置請願書に地方有志の記名捺印を求め、東京鉄道局長に提出しましたが、間もなく武蔵野市からも駅設置請願書が出され、競願となりました。当局では、慎重審議の末、三鷹市の採用を決定し、昭和3年初春に駅設置の通知をしてきました。
これによって、禅林寺はその寺地750坪を駅の敷地として寄附し、当局は車庫敷地等の買収に着手、昭和5年6月25日に待望の三鷹駅が開設されました。以来発展の一途をたどり、現在にいたります。

明暦大火と連雀

明暦三年(一六五七)正月十八日、江戸本郷丸山町の本妙寺から出火した火事は折からの烈風のため大火となり、焦土の広さ二里八丁、死者十万七千余人と記録されている。世にこれを振袖火事という。この惨事によって、幕府は各所に適当な火除地(防火地帯)を作り、一朝有事の備えとした。
万治元年(一六五八)神田連雀町もまたこの火除地として、住宅の再建を許されず、罹災者二十五世帯には、野方領茅場千丁野の内に代地を賜り、開拓農民として移住せしめた。これが現在の三鷹市下連雀のはじまりである。
この当時は、宗門改め(現在の戸籍調査にあたる)が非常に厳格であって、その手続は、年々寺院が調査奥印して、寺社奉行に届け出たものである。然るに元神田連雀町民たちの入植生活においては、宗門改めを受ける寺院がないため、寛文四年(一六六四)各主松井治兵衛外年寄、組頭などの連署をもって寺社創建の議を幕府に請願した。時の大老松平伊豆守及び寺社奉行石谷将監は代官野村彦太夫に命じて検知せしめ、寺地二万坪、社地一万坪として、寺社の創建を許可した。これによって連雀の住民は、直ちに寺社を創建し、江戸築地本願寺の寺中松之坊を迎え、年々宗旨判形すなわち現地の戸籍調査をなして、寺社奉行に届け出ていたのである。

  • 弁天堂:昭和三十三年連雀開拓300年に当たり建立
  • 明暦大火慰霊塔:昭和三十一年四月建立

合同墓「蓮池塔」のご案内

「蓮池塔」は供養する遺族・親族のいない人、またいなくなることが確実な人、後継者がいない為、公営墓地・公園墓地等の使用権がなくなってしまう人の為の合同墓です。
埋葬後、他の墓所に改葬することは可能です。
また、生前から予約することもできます。

禅林寺 境内マップ

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  • 本堂昭和三年建立
  • 山門
  • 第一斎場(梅賢堂)梅賢堂は霊泉斎場として広く一般の使用に供されており、約25坪のホール、控室等があり、自宅が手狭で十分な行事の出来ない場合、会社、団体等の行事等に使用されている。
    平成三年再建
  • 第二斎場第二斎場は、霊泉斎場の利用者が増えたため、昭和五十二年に山門の東側に新設された。
    現在の建物は平成十三年に再々建されたものである。
  • 方丈昭和六十一年再建
  • 禅林寺資料館
  • 弁天堂昭和三十三年連雀開拓三百年に当たり建立
  • 安置室
  • 更衣室
  • 聖観音像昭和四十九年建立
  • 宣豊禅師銅像昭和四十五年建立
    当寺第十六代本山第五十三代
  • 三鷹市供養塔昭和二十四年建立
  • 三鷹事件遭難者慰霊塔昭和三十年建立
  • 太宰治墓津島修治墓(三鷹市史蹟)
    昭和二十三年六月十三日殁
    毎年六月十九日に桜桃忌が行われる。
    法名/文綵院大献治通居士
  • 森鴎外墓森林太郎墓(三鷹市史蹟)
    大正十一年七月九日殁
    毎年七月九日に鴎外忌が行われる。
    法名/貞献院殿文穆思斎居士
  • 蓮池塔
  • 鎮守祠昭和六年再建
  • 三鷹市戦殁者慰霊塔昭和三十九年建立
  • 明暦大火慰霊塔昭和三十一年四月建立
  • 森鴎外遺言碑碑には鴎外の遺言が刻まれている。
    昭和四十五年建立 谷口吉郎氏設計
  • 駐車場収容能力は92台。雨天の場合はテントを張るスペースも十分にあります。
  • 鐘楼梵鐘
    梵鐘は天明六年(1783)十月像鋳造
    銘は黄檗山第二十代 格宗禅師